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霧のむこうがわ [エッセイ]

朝6時半に目が覚めた。
さてどうしよう、とりあえずお腹が減っているので朝食でも作りましょうかとキッチンに向かったところ、冷蔵庫に鎮座していたのは牛乳少々、茄子、ケチャップ。以上。
創作料理が得意の私をもってしても救いようのない品揃えに、仕方ない、スーパーに行こうと身支度を始めたところで、つと今日が日曜である事に気づく。
オランダのスーパーはどこもかしこも日曜祭日完全休業。従業員に優しくともお客にはちっとも有難くないシステムなのである。

そんな日曜の朝、私に残された選択肢はいつでも4つ。
①唯一空いているセントラルステーションのスーパーに行く(往復一時間)
②一日、外食で済ます。
③家の中にある食べ物で試行錯誤する。
④ダイエットと開き直って、諦める。

過去の選択頻度としては②>③>④>①といったところ。
うーん、どうしようか、と5分ほど思案した後、結局てくてく駅まで買い物にいくことにした。

白い霧に包まれた日曜朝8時のロッテルダムは、信じられないくらいに静かだ。街一番の繁華街ラインバーンの歩行者天国ですら、見事に閑散として、ひとっこひとりいない。

閉じた鉄格子のシャッター。
その向こうからこちらを見つめる無数のマネキンたち。


魔法がかかったかのように、静止した街。


いつも歩き慣れている界隈なのに、まるで別の世界に迷い込んでしまったかのような感覚が漠然と湧き上がり、何かに追われるかのように冷たく湿った朝もやの中を小走りに進む。

ふと、昔見た「オズの魔法使い」の映画を思い出した。
南の悪い魔女がコレクションしているのは、100を超える生首。洋服を着替える気軽さで、彼女は戸棚に並んだ首を選ぶ。そして世の女性が常に新しいファッションを求めるように、魔女もより良い首を欲し、それを捜し求め続けているのだ。
小学校入学前、物心つくかつかないかの頃に見た映画なので、イメージにはぼんやりと霞がかかっていて、この記憶が映画本来のものなのか、それとも空想によって脚色されたものなのか、私には分からない。それでも、小部屋にずらりと陳列された言葉を話す生首の映像は、幼い恐怖心や驚きと共に、今でもしっかりと心に残っているのだ。
何度見ても、そのシーンだけは直視することが出来ず、それでも、顔を覆った指と指の間から、その恐ろしくも幻想的な光景を覗き見ずにはいられなかった。その晩、必ず悪夢にうなされることが分かっていながらも。

そんな記憶を辿っているうち、いつの間にか商店街を抜けていたようだ。気づくと、私は駅前の広場までやってきていた。
スーツケース片手に電車の発着案内を見上げる人垣をくぐりぬけ、駅構内に足を踏み入れる。
発車を知らせるかん高い笛の音、電車の轟音、人々のざわめき、いつも通りの喧騒。
目の前の世界は急激に色彩を取り戻し、その明るさに軽い眩暈を覚える。

スーパーでパンと野菜、ヨーグルトとグミキャンディーを買って駅を出た。
9時を知らせる市役所の鐘の音が、風に乗って耳に届く。
ハンバーガー片手に、商店街を歩く人の姿が見えた。さっきは動き出しそうに見えたマネキンたちも、今はもう静かに佇むばかりだ。

活動を始めた街からしゅわしゅわと蒸発するかのように、朝もやが晴れてゆく。
まぶたを細め、薄れゆく霧の向こう側にあるものに目を凝らしたけれど、
もうそこにはいつも通りの現実と青空が広がるばかりだった。

 

 

おまけ。世界のマネキン。

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なんだか悩んでいるマネキン in オーストリア。

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アーティスティックすぎてちょっと怖い。 in オランダ。


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蜜柑のかほり [エッセイ]

蜜柑がとても美味しく感じられるので、毎日毎日蜜柑ばかり食べています。
最近は、もう家の中が蜜柑の香りでいっぱいです。
蜜柑の香りで目覚め、蜜柑を食べて過ごし、蜜柑の夢を見ながら眠ります。

さっき家中のごみ箱の中身(蜜柑の皮)を捨ててきました。
しかし不思議な事に、蜜柑の香りは消えるどころか、ますます強く立ちのぼっているのです。

そして気づきました。
蜜柑の匂いが自分から発せられている事に。

鏡に映る顔色も、心なしか黄色くなってきたような気がします。



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電車の中で [エッセイ]

とてもとても幸せそうなカップルを見た。
向かい合う形の4人がけの座席、私の目の前に座っていたそのふたりは、ずっと手をかたく握り合い、10秒ごとに愛しそうに見つめ合い、かと思うと耐え切れなくなったかのようにほっぺたや手の甲に接吻の雨を降らせたりする。

…まぁ、クリスマスも近いし。
元からカップルは堂々といちゃつくのがヨーロピアンというものだし。
別に珍しい光景でもなんでもないよね、うん。
あまりの刺激にどきどきする心臓を押さえながらも、自分に言い聞かせる。

30分後。
そこには、降りゆく「男性ふたり」の、寄り添った後ろ姿を温かな気持ちで見送る私がいた。
クリスマス間近、自由の国オランダの、冬のひとこま。


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会話速度とセレブ度についての考察 [エッセイ]

セレブになるためにはまず早口でなくてはならない、と思わされる事が度々ある。
この場合日本人もヨーロピアンも、状況はあまり変わらない。

たとえばパーティーの席。
その時に、
「まぁ!お久しぶりね。お元気でいらっしゃる?すっかりご無沙汰してしまってごめんなさいね。でも◇さん、いつ見ても本当にお若くてお綺麗でらっしゃるわね。そのスカーフも本当に素敵だわ」
と、このくらいの事はまずさらりと言えるようでなくてはならない。
ここで相手に先手を取られてしまうと、
「いえいえ、そんな…」
などと謙遜し、おほほと照れ笑いをしているうちに、
「あら、○さんだわ。ごめんなさい、ちょっとご挨拶してこなくちゃ。今日はお話できてとっても楽しかったわ。それでは皆様にもどうぞくれぐれもよろしくお伝え下さいませ」
と、忙しいマダムは風のように去ってしまい、
そののち、
「ああ、何も言いたい事が言えなかった。この前のお礼もしなくてはいけなかったのに。でも今更行ってもなんだかおかしいわ…どうしましょう」
と予期せぬ苦境に自らを追い込む事になってしまうのである。

まぁ、しかし私はまだ年端のいかぬ小娘に過ぎないので、今はそこまで会話をリードする必要はないのかもしれない。
でもやっぱり、後になって自分が
《はい》
《とんでもない》
《こちらこそ》
しか言葉を発していなかったことに気づくのは、やはり相当恥ずかしく、
「ちょっと頭のよろしくないお嬢さんだわね、ふふん」
と思われても致し方ないのはあまりにも情けない。

控えめに振舞いつつも、しっかり言うべき事は言う。
その絶妙な間合いが掴めなくては、セレブへの道のりはまだまだ遠いのだ。

備考:皇室の方々の極みにいけば、また話は別。
ゆっくりと搾り出すようなあのお話の仕方は、至上の高貴さを感じさせます。



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今日という一日 [エッセイ]

土曜日。
久々の快晴だけど、空気が冷え切っていて肌がぴきぴきになりそう。ささむけになったら嫌なので、ハンドクリームを塗る。クラランスのはとってもよく効くのでお気に入り。ただ香りが限りなくマダム。
練習して、街に出る。なんだかコンタクトの調子が悪い。視界一面が白く霞がかって見える。でも痛みはなし。

カフェで友達とお茶しながら年末の旅行の計画。エジプト周辺を豪華クルーズで廻る良さげなツアーを見つけた。
化粧室でコンタクトを外して洗ってみる。違和感は取れず。

ウィンドウショッピング。雑貨屋さんで世にも可愛い食器を見つけた。ソーサが葉っぱでカップがお花。種類もいろいろ。コーヒー用のはチューリップ。
最近、一目ぼれ雑貨との出会いが多くて、でももう家に物を増やしたくないから買えない。そういう商品をHP上で紹介してオンラインの雑貨屋さんでも開いてみようかな、とちょっと本気で考えている今日この頃。

別の友達との待ち合わせまで、デパートをぷらぷらして時間をつぶしていたら学校の友達とばったり。案外狭いロッテルダムシティー。

友達と合流してカフェに入るも、朝からおかしかったコンタクトの調子が更に悪くなって話に集中できない。目に膜がはったみたいに視界が曇って、気分が悪い。「ラーメンの湯気で曇った眼鏡」状態。
仕方が無いので、家に帰って眼鏡にチェンジ。

つっかけに眼鏡で近所のレストランに行く。観光スポットであるこの界隈には小洒落たカフェやレストランがたくさん。日本で例えるならば原宿住民的な、ちょっとした優越感。
トマトスープ、アジアンココナッツ野菜カレー、ステーキのせ幅広パスタ、サラダ、アップルタルト
を、友人とワケワケして食べる。とても満足。

運河沿いをお散歩しながら隠れレストラン探し。
「海みたいな内装のアフリカンレストラン」と「オウムのいるレストラン」を発見。

良い一日でした。
明日の天気は願わくば、晴れのち晴れ。コンタクトの曇りの原因は、恐らくクラランスのハンドクリームに間違いないでしょう。



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マル秘・練習室活用法 ――本編―― [エッセイ]

第二話 マル秘☆練習室活用法 本編

(よろしければ、序章からお読みいただくとより分かりやすいかと思います)

 その日、私はとても眠たかった。
 月曜日というのは大抵そうであったが、その日も例外ではなく、週末の昼夜逆転生活が祟った私は朝からあくびの連続、その上貴重な睡眠時間とふんでいた2間目の音楽美学で予定外のレポート作成を強いられたときて、ようやく昼休みを迎えた頃にはもう限界、新橋駅周辺にたむろする泥酔サラリーマンを彷彿とさせるおそろしく締まりのない形相でもって、ふらんふらんと教室から這い出すのがやっとという体たらくであった。
 そしていつも行動を共にしていた仲良しメンバーもまた、要因は定かでないにしろまったく同様の症状を訴えていた。

 さて、場面は昼時で賑わう学生ホールの片隅。
 だらしなく背もたれに寄り掛かり、ゴム人形のように伸びきった私。
 やる気のない表情でぼそぼそとサンドイッチを口にするAちゃんの隣では、先ほどからTちゃんが机に突っ伏したままぴくりとも動かない。
 と、突然のそりと起き上がったTちゃんがうめく。
「あー、もう。机で寝てても全然疲れ取れない!」
 すかさず同調するAちゃん。
「うん。なんかもう座ってるだけで肩こってくるし」
「……どっかもっと居心地のいい場所があればいいんだけどねぇ」
 今思えば、事の発端は私のこの一言であった。
「居心地のいい場所……」
 がたんと立ち上がるふたり。
「よし、こうなったら探しにいくよ!」

 私たちはまず、各階に一箇所ずつ設けられている休憩スペースへと向かった。そこには、古めかしくもなかなかに座り心地のよいソファーがある。
 喫煙スペースをも兼ねているため服や髪にたばこの匂いがついてしまうという難点があったが、贅沢を言っていられる程の体力などもはや残っていない。
「ソファー、ソファー」
 うわ言のように呟き、ゼイゼイ息を切らせて階段を上がる。
 目指すは廊下最奥の、安息の地。

 しかしながら、やはりマーフィーの法則は存在してしまうのだ。
 そこにはしっかりと先客の姿があり、続けて向かった3階、4階のソファーもまた同様に、ギュウギュウ詰めの満席御礼状態。
 こうなったら意地になってやると、別館や同じ敷地内の短大まで回ったにもかかわらず、結果は見事に惨敗であった。

 そこにソファーがあると信じていたからこそ、のぼりたくもない階段を何段も上り下りし、別棟の短大にまで足を伸ばしたのである。
――それなのにこの結果とは!
 私たちに辛うじて残っていた文化的生物としての誇りが、しゅわしゅわと音を立てて消滅していく瞬間であった。
 
 
気がつけばたまたま目に入った空きの「練習室」に、私たちは誰かれともなくふらふらと吸い寄せられていった。
 いつもは楽器にしか用がないはずのその小部屋の中で、ピアノ下に敷かれたカーペットが何故か光を放ち「おいでおいで」と手招きをしているように、その時の私には見えた。
 そしてさすが普段つるんでいた仲間だけのことはあり、考えていた事は3人とも一緒だった。

 電気を消し、服が汚れるのも厭わず無心で寝転ぶ。予想に反し、いや、このときの心理状態においては予想通りと言うべきか、そこは驚くほど快適であった。
 時間を確かめると、昼休み終了まであと25分。
 携帯のアラームもセットし、もうやり残した事はない。
 私たちは伸び伸びと手脚を広げ、幸福の波に溺れながら、あっという間に夢の世界へと引きずり込まれていったのだった。

 としかし20分の後、私たちを眠りから覚ましたのは携帯のアラームでなく、「うぎゃあ!」という先輩の叫びであった。
 いきなり灯った照明の眩しさとその物凄い声に、私たちもつられて「うぎゃあ!」と叫び、飛び起きる。
 慌てて荷物をひっつかみ先輩に一礼すると、先を争うように部屋から逃げ出し、とりあえず学生ホールにまで舞い戻った。
「ああ、あんまり驚いて心臓止まるかと思ったよ」
 まだばくばくする胸をおさえ、口々に言い合う。
 
 しかしよくよく考えてみれば、先輩の驚きたるや我々の比ではなかったであろう。
 真っ暗な、誰が見ても無人の練習室。
 足を踏み入れパチンと電気をつけた瞬間、目に入るのはピアノの下にごろり横たわる、まるで死人のような物体なのだ。
 しかもよくよく見れば窓際に同じような物体がもうひとつ、そしてすぐ足元、死角になっていたドア脇のスペースにももうひとつ……。
 いや、これは確かに怖い。私でも怖い。

「相当びっくりしただろうねぇ」
 先輩に同情し反省するつもりが、思わずぷっと吹き出してしまう。
 
 その後もしばらくの間、その時の状況を思い起こしては、こみ上げる笑いを堪えるのに非常に苦労した。
 いやはや、何ともはた迷惑な3人娘なのであった。

 

●後日談

 さてこの話、これで終わりではない。
 練習室が思いがけずナイスな寝場所であることに味を占めた私たちは、体力気力補給の場として、その後もたびたび利用させていただいたのだった。
 さらに始末の悪い事にはそれを得意になって周りに教えて回ったものだから、
「私もやってみようかな?」
 なんて面白半分に便乗するクラスメイトもちらほらと現れ始める有り様で、「うぎゃあ!!」と叫びおののく声が、その当時の構内にはたびたびこだましていたとか、いなかったとか。
 しかも段々と欲が出てきた結果、「更に完璧な寝床づくりを目指し日々試行錯誤を凝らしていた」とくれば、これはもう今思い返してみても完璧に練習室の悪用であった。

――ああ、そういえば部屋の片隅の、いかにも不自然に置かれたコンサートちらしとトイレットペーパーの山、あれは一体なんだったのかしら。まったく練習中気になって仕方なかったわよ。

という先輩方。もしいらっしゃったら謝ります。ごめんなさい。
 
今なら白状できます。あれは、シーツと枕の材料でした。

 


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マル秘・練習室活用法―序章― [エッセイ]

音楽うら話、続いてのお題は「練習室」です。

第二話 マル秘・練習室活用法 ―序章―

●序章 練習室とは
 
 一度でも足を踏み入れたことのある方ならばお分かり頂けると思うが、音大や音高といった場
所には必ず、「練習室」または「レッスン室」と呼ばれる小部屋群が存在する。
 それらは学校によって数、広さともにまちまちであるが、各部屋平均6畳から8畳ほどのスペ
ースを有しており、そこが日本であると想定するならば、そのほとんどにグランドピアノが1台もしくは2台鎮座しているのが通常である。
(海外の音大になるとピアノつきの部屋は全体の8割といったところか)
 
 言うまでもないが、「練習室」とは楽器練習を行うための場所である。
 普通大学に通う学生らが、やれ合コンだサークルだ、と青春を謳歌しているその間も、音大生
たる者練習を怠けるわけにはいかない。
 夏は馬鹿のように暑く、冬もまた阿呆のように暑い、練習室という名の狭苦しい箱の中に、音
大生は日々弾きこもる。そしてそれは古今東西変わらぬ事実なのである。
 一般学生の気ままさを羨み、一日足りとも練習を欠かすことのできぬ自らの境遇を呪い、やっ
ぱりそれでも練習から離れる事が出来ない……どうしようもない生真面目さと音楽への情熱を、音大生の99%は持ち合わせているものなのだ。

 しかしながら、サルも木から落ちれば河童も川流れするのが世の常というもの。チョコスナックのコアラの中にも時たま、まゆげつきのヘンテコリンが紛れ込み……と何が言いたいのかというとそれは何事にも例外は存在するよ、とそういう事であって。
 つまり、その1%の例外たちが考え出したとんでもない練習室の使用法こそが、今回の小噺の
テーマ。
 そしてお恥ずかしながら、何を隠そうその不真面目かつ不届きな学生のひとりが5年前の自分
自身であったことを、私はまずここに告白しなければならないのである。
 

 

<本編に続く>

 


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音入れの苦悩 [エッセイ]

 音入れ。
 この懐かしい響き。
 この4文字の言葉を口に、あるいは耳にする時、私は音大時代の、あの汗と涙にまみれた青春
の日々を思い起こさずにはいられない。

 こしいれ、パイプ椅子、はくいれ……など、私の記憶を呼び起こすキーワードは他にもあるといえばあるのだが、語感の良さ、インパクトなどを考慮してみても、やはりこの音入れに勝るものは存在し得ない。
 音入れには確かな存在意義があり、真剣に向き合えば向き合っただけの恩恵を、それは確実に
与えてくれた。
 音入れを一度なりとも体験してしまった者は誰しもその魅力にとりつかれ、気づけば私もいつ
の間にか音入れ信者のれっきとした一員であった。

 前置きが長くなってしまったが、音入れというのは言葉そのまま、音を入れ込む作業の事であり、ピアノ練習法の一種である。
 これはクラシック界の中でも限られた、一部関係者のみぞ知る我が教授秘伝の
の裏技であるので、弟子の守秘義務の名において、ここで詳しいやり方を供述することは少々憚られるが、とりあえず「周りにいらっしゃる音楽関係者の方々にはくれぐれも内密にすること」をお約束いただいた上で、簡単に概要だけ説明させていただくことにする。

 <音入れの目的>
 これは単純に指先の強化、ということで間違いないと思われる。

 <音入れの効果>
 先に述べたように指先が強化されることはもちろんであるが、その他にも
 音の粒の均等化、メジャーテンポの確立、リズム感の上昇
 などなど、数え切れないほどの付加効果を与えてくれるのが「おといれ」であり、その中毒性
の所以たるところである。   

 <音入れの手順>
 基本的には一音につき3回繰り返すのが正しいとされており、例えば「ドレミファソ」という
パッセージであったならば「ドドド、レレレ、ミミミ、ファファファ、ソソソ」といった具合になる。

 さて、問題はここからだ。
・ありえないくらいの大音量で行うこと。
(フォルティッシモを3乗くらいした音を想定していただきたい)
――これが音入れの最も重要かつ難解な部分なのである。
 ピアノが壊れるほどの激しさと力強さ、親のカタキをとるくらいの勢いと執念が、我々には要
求されるのだ。

「おねえちゃん、ご飯よ~。……あら、聞こえないのかしら。ちょっと悠ちゃん(小学生の弟)、お姉ちゃんに声かけてきて」
「うん分かった。お姉ちゃん、ご飯だよ」
「ご飯だよ~!」
「もう。ご飯だってば~~!!」
「ごはんだよ~~~!!」
「ごはん!!」
「ご・は・ん・だ・よ!」
「……」

「ごはんだってさっきから言ってるんだぁ、おんどりゃあ!!」

 まだ小学生の、あどけなくまるで世俗にまみれていない(はず)の弟が、何のアニメの真似をしているんだか、突然人が変わったように信じられない暴言を発し、それを聞いてまぁ大変と慌てた母が言葉遣いを諭そうと盛り付けの手を休め、
「ちょっとこっちに来なさい」
 と声を荒げたところでもう時は既に遅し、
 すっかりアニメの世界が乗り移ってしまった弟はますます調子に乗って男気溢れる台詞を繰り
返し、その様子を見て
「あはは。ウケるー」
 なんて笑っていた上の弟までもがいつの間にか便乗し戦いごっこが始まり、気がつけば、ディ
ズニーランドで買ったフック船長のかぎ爪をはめた下の弟VS同じくDL製のごむ蛇を左手にぐるぐると巻きつけた上の弟の、熾烈な戦いがリビングで繰り広げられる有り様。
 運悪く上の弟から発せられた炎殺黒竜波がゴム蛇とともにダイニングテーブルをかすめれば、
気の毒なツナと玉ねぎのサラダががしゃーんと凄まじい音をたてて辺りに散乱し、読んでいた小説のここぞという感動シーンをぶち壊された父が、とうとう
「おい!いい加減にしろ!!」
 と浅田次郎を握り締め立ち上がる。

 と、私はそこで初めて、
「あら、何か言ったかしら?」
 と顔を上げなくてはならない。
 これこそが正しい音入れの姿というものである。
(念のため言わせていただくが上記の家庭の描写はフィクションであり、正しく音入れに取り組
んでいる私には、それらの言動はまったく聞こえていない。というか、聞こえていてはならない

 とにかく。
 音入れというのはかくも奥の深い、強靭な肉体と精神が要求されるトレーニングなのである。
 それによって皇室のように優雅だった家庭が一瞬にして吉本新喜劇に姿を変えてしまったとし
ても(再注:たとえ話)、ピアニストになるという夢を実現させるためには涙を飲んでそれを犠牲にしなくてはならないのだ。



 さて、最後になってしまったが音入れにまつわる忘れられないエピソードを、ひとつ紹介させていただこう。
 
 場所は都内某所。教授の自宅にあるレッスンルームでの出来事である。
 その事件はちょっぴり天然の素敵な先輩、Rちゃんのレッスンを聴講している時、突如起こった。
 その日Rちゃんはどうしたことが調子が悪く、落ち着きがなかった。演奏にも小さなミスがちらほらと見られ、
「もういいわ。いったんストップ!」
 と、とうとう教授に演奏を中断させられてしまった。
「あなた。音入れが足りないのよ。ちゃんと音入れしてるの?」
 練習不足を見越した教授の厳しい一言。
 Rちゃんは真っ赤になってうつむいてしまう。
「・・・はいすみません。じゃあちょっとお借りします」
 そう言って、おもむろに立ち上がるRちゃん。
 向かった先は、

 そう、お手洗い。

 数分の後、Rちゃんは言われた通りにきちんとおトイレを済ませ、唖然とする我々を尻目に、見違えるようにすっきりとした表情で再びピアノを弾き始めたのであった。

 


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べり~~グッド!! [エッセイ]

同門のポルトガル人の男の子の口癖。

「コンサートどうだった?」
「試験どうだった?」
「うまく弾けた?」

いつでも彼の答えは変わらない。
自信たっぷりに、満面の笑みで、時には親指すら立てて見せながら、1ミリの迷いも見せずに即答。
「Very Goooood!!」

私だったらこうはいかない。
一番多いのが「well...It was ok.」
次いで「not very bad」とか「as usual」とか。
良かった時でも「Good」どまりで、更に「But,I made some…」なんてのがくっついてくる。
ひどい時には「I don't know」

この自画自賛がうまく出来ない傾向、日本では更に顕著であった。
なにしろ桐朋時代、試験を終え部屋から出てくる時のお決まりの台詞が、
「最悪。もうおわった~~!!」

これは文字で書くとニュアンスが伝わりにくいのだが、試験自体が終了したということではない。
自分の演奏がもうお話にならないくらいどうしようもなかったという意味合いで、試験当日の校内では、この台詞がもうそれこそいくつもいくつも飛び交っていたものだった。
しかし実際蓋を開けてみればなんてことはない。
本当に大失敗して心底落ち込んでいるのは全体の四分の一にも満たず、みんな「最悪だったよぉ~」なんて言いながらにこにこ笑っているのだから、これは日本人の特殊な表現方法と言わずして他に何と言えよう。

しかし、ここで
「もう最高だったよ!!」
などと答えようものならば、その場が一気に白けるであろうことは目に見えているし、
反対にヨーロッパで
「It was so bad」
なんて答えれば、言葉をそのまま受け止め、相当にひどかったのだろうと推測した外人たちから、同情気味に「…元気出して」などと肩をたたかれる事になってしまうだろうから、これはもうつまり根本的な文化の違いであり、どうしようもないことなのだとは思う。

どちらが好ましい態度なのか……それは多少答えに窮する。
ヨーロッパで三年を過ごしてきて、外人のストレートな物言いや結果を前向きにとらえようとする姿勢に共感を覚え、自分への絶対的な自信を持ち続けられる彼らを羨ましく思ってきたのは紛れもない事実だ。
しかし私はやはり日本人であるから、自分を卑下してみせる言動の背景にあるのが、
「自分への厳しさ」「もしかしたら失敗してしまったかもしれぬ相手への無意識レベルの思いやり」であると信じているし、それを非常に美しい心であるとも思うのだ。

そんなどっちつかずの私は、だからいつになっても「It was ok」が精一杯。
文化以前に、本当にどこにも後悔の残らない、誰しも認めざるを得ないような演奏をすればいいじゃないか、とも思うのだけど、結局私は日本人だから、自分に100%満足できることはおそらくこれからも有り得ないだろうと、もうどこかで分かってしまっていて。
それが誇らしくも、やっぱりすこし、かなしい。


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レッツ★カラフル [エッセイ]

ヘンテコな夢を見た。

友達と遊ぶ約束をして、家を出た私。
道行く人々を見て、思わずぎゃっと声をあげそうになる。
ピンク色の顔をした老婆が前から歩いてきたかと思えば、自転車で私を追い抜いていく少女の頬は真みどりに染まり、向こうから近づいてくる若者3人組に至っては、信号さながらになんとも鮮やかな赤黄青なのだ。
普段から様々な国籍、人種が行き交うこの界隈とはいえ、これは尋常ではない。
一体全体どうしてしまったのかと驚愕し、それでもとりあえず待ち合わせ場所に行かねばと思う。

チューリップ畑のような人々の波をかいくぐり、不安で泣き出しそうになりながらも歩みを進める。
やっとこさ到着した待ち合わせのデパート前、見つけた友人の懐かしい姿。
しかしほっとしたのも束の間、私はうぎゃあと叫び、思わず後ろへと飛び退いた。
こちらを振り向いた彼女の顔ときたらカキ氷のシロップそのもの、誰よりも色鮮やかなメロン色なのだ!!
ショックで口の聞けない私。
そんな私を尻目に、彼女はバックからファンデーションのパクトを取り出し、おもむろに化粧なおしを始める。
ますます鮮やかに、緑に染まってゆく彼女の肌。
みるみる青ざめていく私に、彼女の得意気な一言が投げかけられる。
「青も悪くないけどやっぱさ、今年の春は緑が可愛いって」


 


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