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1.留学のきっかけ [ドタバタ留学記]

1.留学のきっかけ

いずれは外国で勉強したいと漠然と考えてはいたものの、まだ踏み切れずにいた私が最終的に留学を決意したのは大学2年の終わり。現在の恩師であるA先生に自分のもとで勉強するよう勧められた事が直接的なきっかけでした。

そもそもA先生(以後いつも呼んでいるようにマエストロと記します)との出会いはそこから更に遡る事1年半前。大学1年の10月に東京でマスタークラスを受講した事が始まりでした。日本での恩師、S先生とマエストロは友人関係にあり、S先生の勧めで受講を申し込みました。確か私が弾いたのはプロコフィエフのソナタ7番。高校の卒業試験で弾き、舞台慣れしている言ってみれば十八番の曲だったこともあり、ひどく気に入っていただけたようでした。

後日、「留学しないか」との誘いを受けた事をS先生経由で知り、その有難い申し出に驚きました。ただその時はまだ吹っ切れずにいて、
「少し考えさせて欲しい」
ととりあえず保留にする事にしました。その後も年に2回来日しているマエストロから会うたびに
「答えはでた?」
と聞かれるものの、中々決断が下せずにいました。

留学先を決めるにあたって大抵の場合は、行きたい国や学びたい学校が重要視されますが、私は「誰のもとで学びたいか」が、一番重要だと思っています。特に音楽を学ぶ私達の場合、講義イコール一対一のレッスンであるのだから尚更です。

「有名な音大に入れたはいいけれど先生と合わない」なんて話はこの世界ではざらであり、「留学するならまずは先生を見つける」事は前々から私のポリシーでした。その点マエストロのレッスンは文句なしに素晴らしく、どの注意も共感できるものでした。かつ、彼は私の演奏を認めて下さっているのです。こんな願ってもいない好条件のオファーで悩むなど馬鹿馬鹿しいほどに贅沢だと、今となってそう思いますが、当時私はまだ18歳。「留学」は夢であっても、それは大学を卒業したら考えようというまだ非現実の部類であり、今すぐに、と言われてみて感じたのは期待よりも不安だったのです。

「見知らぬ土地で一人暮らしなんてできるのか」
「言葉も通じないのにレッスンが理解できるんだろうか」
「第一しゃべれないのに生活できるのか」
……考えれば考えるほど心配は尽きることなく。

自慢ではないけれど、私は筋金入りの優柔不断で、ファミレスのメニューひとつにしても真剣に悩む性格なのです。当時の親友も同じような性格で、二人で15分はメニューと格闘した挙句、
「こうしていても決まらないから注文せざるを得ない状況にしよう」
と店員さんを呼んだ上で
「あ、先に言って」
「え、私まだ……」
とお店のひとを困らせるのが日常茶飯事。そんな私が軽々決断できるはずがなく。

そんなこんなで留学話が持ち上がってから丸々一年悩み続け、とうとう翌年の10月再び来日したマエストロに最後通告を出されてしまいました。
「もう待ったはなし! 12月に20歳になったらもう大人なんだからそれまでに返事をするように!」 
いつか保留の言い訳として
「二十歳になったら……」
と言ったことも、そして私の誕生日も、なんとしっかり覚えてらっしゃった……。

悩みました。それまでの人生で一番悩んだかもしれない。両親は私の決断を尊重する、と言ってくれました。
(ただ実際のところ母は行ったほうが私のためになると、父は出来れば日本にいたほうが安心だと、それぞれ思っていたようで、それを感じ取っていた私は更に悩み続けることになった事を彼らは露知らず。)

結局、
「すごく行きたいとは思う。ものすごいチャンスだとも思う。でもマエストロに気に入られ続ける自信も外国で暮らす自信もない」
とうじうじ悩む私を目覚めさせたのはS先生の鶴の一声でした。

「じゃあ、一年たったら自信がつくというの? 自信なんて急につくものじゃないでしょ。まして日本の、同じ環境で暮らしていて。慎重である事は大事だけれども、思い切ることも同じくらい大事なのよ。それにね、行ってしまえばなんとかなるものよ」

若くしてフランスに留学なさった先生の言葉は非常に現実味に溢れており、脳天にスコーンと響くような感じでした。

実際のところ、私の心の奥ではとっくに結論はでていたように思います。今行かなかったら大馬鹿者だ、と。ただひっかかっていたのが自信のなさ。それが、1年経っても2年経ってもおそらくは10年経っても改善するとはとても思えないことを先生の言葉で思い知らされたのです。それだったら若いうちに行ったほうがいいに決まってる。

散々返事を引っ張ってしまったにもかかわらず、留学を決めた事を伝えるとマエストロは大喜びして私を歓迎して下さいました。
「何も心配する事はないよ。yukiは自分の娘同然なのだから」
とまでおっしゃって頂き、あぁ私はなんて幸せ者なんだと改めて実感したのです。

そんなマエストロと出会えた事を、私はこれは運命だったと思っています。大袈裟かもしれないけど。
そして教え子を手放す事を嫌がる風潮が強い中背中を押してくださったS先生に、金銭面その他もろもろの心配をさせず、私のしたいように、と支えとなってくれた両親に、心から感謝します。

彼らの存在がなければ私はおそらく今もなお、うじうじ悩んでいたに違いありません。


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